しんくろの勉強置き場

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in vivo遺伝子治療の概要と展望

2020年代に新治療としてブレイクするだろうと期待しているin vivo遺伝子治療について,現在知っておくべき遺伝学・ウイルス学・臨床医学的事項をまとめた。

 

  1. 導入

 遺伝子治療は,患者の細胞の遺伝情報に手を加える治療の総称である。現在,実用的に可能性のあるヒトゲノムの解読は大きく分けて,

in vivo gene delivery(患者の体細胞の遺伝情報編集)

ex vivo gene delivery (特にCAR-T療法など機能性細胞の作成と導入)

の2通りに分かれる。もちろん,ここ最近はキムリア®を代表とする②の方が役に立ってはいるが,今回は遺伝子治療技術の第一義的な目標である遺伝子疾患の治療について考えるため,主に①を扱う。

 ②のex vivoに比べた①in vivoの最大の利点は「細胞の収集・培養・移植という一連のプロセスを必要としない」ということだ。もちろんCAR-T療法も次世代の医療として注目度合いは高いのだが,患者の細胞を培養して再び定着させるプロセスは今のところ血球類の専売特許に近い。一般に培養細胞は継代を続けるうちに元来の機能を失うことが多いし,「どこでもいいから増えればいい」なんていう戦略はやはり血液など機能的な構造を持たない組織に限られるだろう。特に遺伝子疾患は神経筋疾患が大きなウェイトを占めるが,神経細胞や筋細胞は簡単に継代できないことがよく知られているし,そもそも移植した細胞が欠落した神経・筋機能を代償できるとは考えがたい。

 近年は脊髄性筋萎縮症(SMA)に対するゾルゲンスマを嚆矢として,治療できないと思われていた疾患に対するin vivo gene therapyの時代が開けつつあり,近いうちに医学生の間でも一般的に知られる事項になると思う。そこで今回は,教えられなかった最後の世代になるかもしれない我々が最低限知っておくべき知識をまとめておく。

 

  1. 遺伝子治療総論

2-a in vivo gene deliveryの概要

 in vivo遺伝子治療は,ウイルスベクターを用いて特定の器官の細胞に新たなタンパクを発現させることで,不足している分子を補ったり,治療に有益な遺伝子を追加したりするものである。Ex vivo(”体外の”)のものと異なり,人体に直接感染を成立させる点で強力な介入手法となる。具体的に補う分子は疾患と目的による。

 ところで,遺伝子疾患は優性(顕性)疾患と劣性(潜性)疾患に分かれる。劣性遺伝形式を示す責任遺伝子の大半は,単に両方ともなくなると機能不全を起こすという簡単な仕組みによるから,原理的には遺伝子を加えられれば治る。一方で優性遺伝形式の原因遺伝子にはだいたい以下の4タイプがある。

ドミナントネガティブ(優性阻害):片方でも異常な遺伝子があると,その異常分子が正常に作られた分子の機能を阻害する。疾患ではないが,日本人が酒が飲めるかを決定する遺伝子として知られるALDH2などが該当する。疾患としては高IgE症候群(STAT3)などがあるらしい。

②異常分子そのものが病態を形成するタイプ:異常遺伝子の産生分子そのものが病態につながる悪さをする。Huntington病など,多くの変性疾患がこれにあたる。

③ハプロ不全:片方の正常遺伝子だけでは発現量が足りないために,片方変異があるだけでフェノタイプが変わる。マルファン症候群のFBN1や家族性高コレステロール血症FH(こちらはホモ接合体がより重篤になるが)のLDLRなどがこれにあたる。

(④がん関連のもの:これは少し特殊で,いわゆるtwo-hit theoryによるものである。家族性腺腫性ポリポーシスFAPのAPC,遺伝性乳がん卵巣がん症候群HBOCのBRCA1/2などが該当する。これに関しては,「全ての細胞ががんになりやすい」という病態なので,一部の細胞でがん抑制遺伝子が増えてもしょうがないため,遺伝子治療の見通しはなかなか立たないだろう。)

 このうち,単純に正常遺伝子を導入して発現を回避できるのはどれか考えてみると,実は③のみである。というのも,ドミナントネガティブの場合と②異常分子が病気を起こす場合では,たとえ正常な分子が発現していても,異常分子の発現を止めない限り病態は続くためである。これに対しては,近年の分子生物学の革新によって,CRISPR-Cas9 systemを利用したgene editingが期待されるものの,実際にはかなり後になってくるだろう。

 なお,遺伝子治療というと体細胞変異ではなく生殖細胞系列変異,つまり個人の遺伝情報全体を書き換えることを想像する人もいるかもしれない。確かに多くの遺伝性疾患にとって生殖細胞系列変異はもっとも単純な根治療法であるが,かつて実験で予想外の切断(off-target cleavage)が確認されたことから,危険であるということで世界的に研究の進展に歯止めがかかっている。近年ではHe博士の事件が記憶に新しいが,未解決の技術的・倫理的問題が山積しているということで実現はまだ後になるだろうから,ここでは触れない。現在の科学技術では体全体の情報書き換えは遺伝子を訂正する以上に破壊する可能性が高く,リスクが大きすぎるということである。

 以下では遺伝子治療の仕組みと展望について述べる。この分野はウイルス学と免疫学がとても大切である。

2-b ウイルスベクター

 遺伝子治療に用いられるウイルスベクターには複数の条件がある。逆に言えば,これらの性質は「ウイルスベクターはどうして有効で,どうして危険ではないのですか?」という問題の答えとして重要なので知っておくべきである。ざっとまとめると以下の4点だと思う。

①ウイルスが狙った細胞に感染できるように設計されていること

 そもそもの問題として,多くのウイルスは体の中でもウイルス受容体をもつ一部の細胞にしか感染しないので,狙った分子に感染してくれることは重要である。また,逆に広範すぎる細胞に感染すると副反応が出やすい。特に注意すべきなのは,生殖細胞に感染することで予期しない生殖細胞系列変異が起きる危険性である。

②ウイルス毒性と遺伝子毒性が少ないこと

 ウイルスは,基本的に感染細胞のタンパク発現系をハックした結果として宿主の細胞を殺すので,細胞はこの働きがある程度弱くないと,感染細胞が全滅するだけで何の意味もない。また,ウイルスによっては細胞自身の遺伝情報に手を加えてしまうが(レトロウイルス属など),この効果による発癌性などに注意しなければならない。

③ウイルスの増殖能がないこと

 ウイルスが増殖し,予想外に感染領域を増やす,あるいは他の組織に感染することは,効果のコントロールを下げ,加えて予期しない副反応を引き起こす。これが起きないためには感染細胞から新たに当該ウイルスが生まれないことが最も望ましい。

④長期間にわたって発現が期待できること

 ウイルスの生存戦略上,必ずしも感染細胞でいつまでも分子を発現する必要があるわけでもないので,長期間にわたり分子を発現させることが必要である。このためには潜伏感染するヘルペスウイルスやDNAに遺伝情報を組み込むレトロウイルスなどが適する。また,臨床的に麻疹や風疹が有名なように,一度の感染で強い免疫記憶が成立するウイルスは不便である。

 以上を踏まえて最も有望視されているのが,以下に触れるアデノ随伴ウイルス(AAV)とレンチウイルスである。

2-c AAVの利点と欠点

 AAVは,近年では基礎研究でもよく見かけるパルボウイルス科のウイルスであり,伝染性紅斑(りんご病)を起こすヒトパルボウイルスB19の類縁種である。このウイルスは「ヘルパー依存ウイルス」と言って,HBVに対するHDVと同様,特定のヘルパーウイルス(アデノウイルスヘルペスウイルス)と共感染しない限り単独では増殖できない。また,AAVそのものは毒性がないことが大きな利点である。更に,セロタイプ別に感染先が筋細胞・肝細胞・神経細胞などと広範囲をカバーしており,適切なセロタイプを選べば様々な細胞種に選択的に感染を成立させられる

AAVは以上の点から実際に最も臨床的に応用が勧められているが,3つの弱点がある。まず,AAVはヘルパーウイルスが一般的な病原性ウイルスであるため成人では既感染者が多く,カプシドタンパクに対する中和抗体が高率に検出される。この問題は免疫抑制による回避などがが目指されている。また,AAVは主にエピソームとして遺伝子を追加するため,変異原性はないものの,発現期間が後述のレトロウイルス類ほど長くない可能性がある。最後に,AAVで導入できる塩基配列は最大でも5kb程度とたいへん短い。この問題は加えたい分子の長さを制限し,いくつかの疾患では足枷となるため臨床上重要である。この点のウイルス学的,または分子生物学的進歩が待たれる。

2-d レンチウイルスの利点と欠点

 レンチウイルスはレトロウイルス科のうち複雑レトロウイルスと呼ばれる特殊な亜科であり,HIVなどもこれに属する。これらが逆転写酵素を利用して細胞本来の遺伝情報に自分の遺伝情報を組み込む(プロウイルス)ことはウイルス学的に有名であるが,これが長期間にわたる感染成立に役立つ。ベクターとして用いられるレンチウイルスは,ウイルスの出芽に必要な遺伝子を消すことにより再感染が起きないようになっている。また,本来の強力なエンハンサーを取り除くことによりウイルス毒性を抑えたものが採用されているという。また,レトロウイルスベクターは増殖中の細胞にしか感染できないのが最大の問題点だったが,レンチウイルスでは克服されている。

 

3.遺伝子治療各論

 ここでは代表的なAAV治療として,血友病とSMAを挙げる。他に黄斑ジストロフィーやパーキンソン病などの領域でも努力がなされているらしいが,いったん置いておく。

3-a 血友病

 現代的なAAVによる遺伝子治療の研究は血友病に始まっている。いわゆる凝固因子の合成を行っているのは肝臓で,細胞構築が単純な臓器であるからターゲットにしやすかったのと,分泌タンパクのほうが細胞そのものの機能に関わるタンパクより簡単だったというのがあるだろう。特に凝固因子FIXに関わる血友病Bについて1990年代後半から研究が進んでおり,FIXやその類縁物質を肝細胞で発現・分泌させることで長期にわたり安定したFIX上昇を得られている

 この研究の過程でわかった通り,AAVによる遺伝子治療では,細胞障害性T細胞など免疫系による攻撃を免れるため,投与以後に免疫を抑制するなどの対策をとらなければ効果が持続しないという。また,現在のところは適応外となっている高AAVカプシド抗体保有者への対処も考えることが必要である。

3-b SMA

 脊髄性筋萎縮症SMAは近年最も期待されている神経疾患である。SMAのうち幼児期発症のI型は,大半がSMN1の機能欠損による常染色体劣性遺伝疾患であり,脊髄前角細胞の死滅によって最終的に座位が獲得できない程度の重度な運動障害をきたす。遺伝子治療のターゲットとしては,単一遺伝子の劣性遺伝子疾患であって単純な遺伝子の追加で効果が期待できる点が大きいのだろう。

この疾患については,もともとヌシネルセン(スピンラザ®)という核酸医薬が注目されていた。神経細胞SMN1は抗アポトーシスタンパクであり,ほとんど同じ配列をもつSMN2が冗長に存在するが,SMN2の大半は選択的スプライシングにより非機能性分子が発現するため,実際にはrescueされない。ヌシネルセンは神経細胞SMN2選択的スプライシングに干渉し,機能性のSMN2を発現させるものである。

これに加えて最近開発されたのが,脳関門を効率的に透過するAAVを用いてSMN1を神経細胞に導入するオナセムノゲンアベパルボベク(ゾルゲンスマ®)である。これはヌシネルセンよりもはるかに直接的な方法であり,実際に効果は非常に高い。本来は幼児期に死亡する疾患であるが,多くの患者でそれ以上の生存が確認され,座位や歩行機能の獲得など運動機能の改善も見られたという。とはいえ,これに関しても抗AAV9抗体陰性が条件となっており,今後の発展が待たれる。また,その他の劣性遺伝神経筋疾患はFriedreich失調症やDuchenne型筋ジストロフィー,福山型筋ジストロフィーなど多く存在するので,それらへの応用も期待される。

 

 

 

参考文献:

Dunbar CE, High KA, Joung JK, Kohn DB, Ozawa K, Sadelain M. Gene therapy comes of age. Science. 2018 Jan 12;359(6372):eaan4672. doi: 10.1126/science.aan4672. PMID: 29326244.

非常によくまとまったレビューである。

Liang P, Xu Y, Zhang X, Ding C, Huang R, Zhang Z, Lv J, Xie X, Chen Y, Li Y, Sun Y, Bai Y, Songyang Z, Ma W, Zhou C, Huang J. CRISPR/Cas9-mediated gene editing in human tripronuclear zygotes. Protein Cell. 2015 May;6(5):363-372. doi: 10.1007/s13238-015-0153-5. Epub 2015 Apr 18. PMID: 25894090; PMCID: PMC4417674.

(成育不能な)ヒト受精卵に生殖細胞系列変異を入れた結果。現在の遺伝子研究技術がはらむ危険性について述べた論文。